2006年05月28日

私のこれまで。。。7

このカテゴリーは私がブリーダーを志そうと思ったいきさつを少しづつ書いていこうと思っています。

沖縄の日本料理店で男の人達と同じ様に、大きな鍋を持って、働きました。

女だから大きな鍋が持てない・・・

とかっていうのは嫌だったので、同じ様に働きました。
朝は8時ごろから夜は、早くて11時、遅い時は夜中の3時、4時まで働いていました。
朝食をちゃんと食べないと、次はいつ食事が出来るかわからないので、朝はしっかり食べ、昼の営業が終わるのが3時だったので、それから昼食、忙しい時は昼食食べる時間もなくそのまま夜の営業、夜の営業のオーダーストップが9時、それから片づけして、まかない作って食べるのが、早くても夜の10時。

その間座れるのは、トイレに入っている時だけ。

そんな生活がずっと続くと、やっぱり体を壊します。
私が、中学校の時にアレルギー性血管炎で1ヶ月くらい入院して、高校受験も病院から受けに行き、その当時は絶対安静という状況だったので、特別に保健室のベットの上で受験した経験があり、その病気が再発してしまって、ドクターストップがかかってしまい、料理の仕事をやめる事になりました。

病気静養中に今の旦那と出会い、とんとん拍子に結婚が決まっていきました。

私の結婚が決まった頃、チャウは年でもあったのですが、心臓を悪くして、病院通いしていました。
つらそうに咳がでて、薬をあげると落ち着くのですが、毎日薬をあげないと、咳が止まらない状態で苦しそうにしていました。

散歩が大好きだったチャウは、雨の日でもカッパを着て散歩に行くくらい、散歩が好きな子でした。
そんなチャウがとうとう散歩も出来なくなって、でも外に出たい・・・
その気持ちがすごく伝わったので、チャウが歩けるだけ歩かして、しんどくなったら抱っこしての散歩をしていました。

ある日一歩も歩けない状態になり、急いで病院に連れて行くと獣医に
「覚悟はしておいて下さい」

覚悟なんて出来ない。お願いだから助けて。祈る思いでした。
点滴をうつと、楽になったのか落ち着いて、家に連れて帰り、何とか大丈夫。
その頃、チャウは家の階段の上り下りも出来なくなって、よったよった歩いていたのですが、まだまだ大丈夫だよね。病院代、薬代、すごくかかるけど、そんな事より、どうにかチャウが元気に生活できるようになる事だけを考えて、家族全員強力していました。父も、母も、姉も、弟も、それぞれができる事はチャウにやってあげました。


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